<%Site_name_short%> > HOME > Music & Movie♫ > #227 Now I See

#227 Now I See

2014年09月29日

(⊹^◡^)ノo.♡゚。*こんばんわぁ~*。♡

今日もお気に入りのMVをペタッと貼らせて頂きますね(* ^ー゚)
AurosoniさまがNeev Kennedyさまにフィーチャリングした綺麗なボーカルトランスです!
PVは告知版で、chillout mix, progressive mix, club mix and drum'n'bass mix.
を含んでいます。なんか元気でるかも(((o(゚▽゚)o)))。

With 4 different mixes perfectly showcasing Neev's seductive celtic tones in a bitter sweet story of reflection and discovery, this debut release covers plenty of different ground where Aurosonic boasts his many sound skills.



「Now I See」 Lyrics

I let you keep the key
A prisoner in love
I didn't want to go
Unless you came with me

I was blinded
and I'm so ashamed
That it took so long for me to break away

Now I see, who you are
I can only be pushed so far
Now I see, now I see
That you were never good for me


ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ

お勧めの曲や、ステキな動画があったら教えて下さい(。-д・)bネッ
L.M. Cafe Dance Club でお待ちしてまぁす(。・∀・。)ゞ


◄ L.M. Club Dance Cafe ►
営業日:毎週日曜日
時間:16:00~17:00(JST)
コチラから→http://maps.secondlife.com/secondlife/Koenji/37/242/35

マンタやクラゲ水槽で泳ぐCafeでアニソンで、楽しい時間をいっしょに過ごしましょうね〆(▰∇◕✿)ノ‷ 

ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ


今日は偶然「信じると疑うの間の真実」について、クリシュナムルティさまのお言葉
との出会いがありました。ちょっと心に響くものがありましたので、φ(゚Д゚ )フムフム…
カキカキしておこうと思います(∩´∀`@)⊃

クリシュナムルティ(1895年~1986年)は、
インド生まれの20世紀のもっとも偉大な宗教家の一人とされます。

ムルティは、インドのバラモン僧侶の家の8男として生まれ、

1970年代のアメリカニューエイジムーブメントの源流を作った
神智学協会の第二代会長アニー・ベサントにその才能を見いだされて、
養子として育てられました。

アニー・ベサントは息子ムルティをキリストの再来とし、
宗教法人「星の教団」を作りましたが、

1929年に内紛を抱える星の教団と神智学協会の状況を憂えたムルティは、

「宗教組織や組織的な活動によって真理に到達することは不可能である。
自分は追随者は望まない。永遠を見つめ、真に生き、
何の束縛も受けない自由な人間がいてくれれば充分である。」

「真理は、そこへ至る道のない土地である。"Truth is pathless land."」

といい、当時3000人以上の信者を抱える星の教団を解散してしまいました。

ムルティは、その後、フリーの宗教家として、
世界中をまわり、「自由」を説きました。

彼は、キリストを疑え、ブッダを疑え、思考すら疑え、

真実とは、たどろうとすれば、逃げてしまい、
たどるのをやめた時に、初めて真実にたどりつく。

「あるがまま」を感じるのだと、説きました。

同じようなことを最も古く言ったのは、
おそらく中国の哲学者、老子(紀元前6世紀)です。

万物の根源は、「道(タオ)」であるが、
これがタオだと表現したところで、
それは常に変化するもので、本当の意味でのタオではありえない。

無と有は、名を異にするだけで、ほんとは同じものだ。

ムルティも、老子も、「道なんだけど、道じゃない。」と言っています。
困りましたね(+_+)

ちょっと視点を変えましょう。

老子と同じ時代の中国に、孔子がいました。

孔子の教えは、儒教として特に日本では、
武士道の根幹をなす考えとして、古くから、勉強されて来ました。

徳川家康は江戸時代に、この儒教を広く奨励したため、
知らず知らずのうちに儒教の考え方は、皆さんの中に暗示されています。

儒教では、仁=愛、義=義理、礼=礼儀が大事だ、
御父さんお母さんを大事にし、頑張って働けば、社会で出世する。
と、すごく具体的なことを説きました。

孔子の教えは、弟子達によって、書籍化され、
かなり具体的な教科書として、広く愛用されるようになりました。

老子は、
「孔子君、君は、礼儀を説いているが、それは、細かいことなので、もっと自然体でいきなさい。」
と批判し、それを聞いた孔子は、

「老子は、天を駆ける龍のようで、つかみどころがないが、すごい。」

と漏らしたと、伝えられています。

ムルティも老子も「あるがまま」の自由を説きました。

実は、この「自由」のイメージは、特に若い世代に熱狂的な影響を
与えていて、おそらく多く人が組織に縛られるのは嫌だと考えています。

しかし、ムルティも老子も食事をして生きていました。

食事をできるのは、農村で農家の人たちが力を合わせて食料を作り、
お布施というつながりによって、ムルティや老子は、生計を立てています。

家族も組織です。生まれた時から組織に属しています。

道を説く孔子は、道を捨てる老子のことを一目置きましたが、
広く教えが受け入れられたのは孔子です。

道を歩くことによって、真理には到達できないとしても、
多くの人が道を求めているのも事実です。

科学もまた、道です。

皆さんは、テレビを一から作ることは難しくても、
テレビを見て、楽しむことはできます。

新しいことを生み出すのには、いろいろな失敗をして、
膨大な時間がかかります。

全ての人が同じように道を模索すると、やはり無駄が多くなります。

未来の人類が幸せに暮らしやすいように、分担して、道を作ることは大事なことです。

多くの宗教が、信じることによって、呪縛を作り、
結局、真理から遠ざかってしまったことは、反省すべき点です。

しかし、また、すべてを疑うこともできないので、
「信じることと、疑うことの間」に、真理=愛があるということです。

宇宙も世界も組織です。世界を※愛で一杯にするためには、

大統領がいて、民がある。社長がいて、社員がいる。というような、
今までの組織より、もっと夢のある組織を作るということです。


※「愛」と呼ばれているものには、いくつかの種類があります。ここで4種類の「愛」について、
考えてみましょう。


四つの愛
本能の愛・心情の愛・良心の愛・存在の愛について

 第1の愛は、性欲や性愛などに見られるような「本能の愛」です。
 これはギリシャ語で、エロスと呼ばれる愛です。この言葉は、聖書には出てきませんが、これはきわめて本能的な愛といえるでしょう。
 第2の愛は、親子の間の愛情や、夫婦愛、兄弟愛、師弟愛、恋愛、友情などに見られるような「心情の愛」です。
 新約聖書の原語であるギリシャ語では、この愛をフィレオーといいます。これは感情、または心情的な愛で、「好き」「いとしい」「かわいい」などの気持ちを伴います。
 心情の愛は、自分にとって大切なものを愛し、いとおしむ愛です。
 以上の「本能の愛」および「心情の愛」は、だれもが生まれつき持っている、ごく一般的な愛と言えるでしょう。
 つぎに第3の愛は、聖書の教える「隣人愛」に見られるような良心の愛です。
 新約聖書の原語ギリシャ語では、この愛をアガペーといいます。アガペーの愛は、好き嫌いの感情をも超えた愛です。
 相手が好きな人物であろうと、たとえ嫌いな人物であろうと、その人を愛するのです。その人に対して最善となるものは何であるかを考え、相手が誰であろうと善を行なうのです。
 この愛は、敵をも愛する愛となることができます。
 「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが与えられるでしょう」(マタ5:47)
 「わたし (キリスト) は、あなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」 (マタ5:44)
 「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、彼に飲ませなさい。・・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい」 (ロマ12:20-21 )
 と聖書に記されています。悪に対しても善をもって報いる――これは、好き嫌いの気持ちをも乗り超えた「良心の愛」です。
 また「良心の愛」は、聖書で「真理への愛」(Ⅱテサ2:10) と呼ばれている愛でもあります。
 良心の愛は、永遠的真理、また神の真理を愛するのです。神の御教えを尊び、それを守ろうとします。こうした良心の愛を持つようになるためには、心の眼が開かれる必要があります。
 最後に、第4の愛は、神ご自身、およびキリストの持っておられるような存在の愛です。
 これは、存在しているだけで愛を感じさせるような愛、または存在そのものが愛であることです。
 人間でも、「その人がそばにいるだけで心が暖まる」と思えるような人がいます。神はそれ以上に、「共におられるだけで幸福を感じさせて下さる」おかたです。
 こうした愛を、「存在の愛」と呼ぶことにしましょう。それは「神の愛」を表すのに最もふさわしい言葉です。
 「神は愛なり」(Ⅰヨハ4:8)
 ――この聖書の言葉は、神の存在そのものが愛である、と言っているのです。創造主なる神、および救い主キリストは、私たちの幸福の源であり、命の泉であって、存在そのものが愛です。
 愛のかたまり、全身全霊が愛である、と言えましょう。この「存在の愛」は、愛の中でも、最も崇高な人格だけが持てる愛です。


低い段階の愛は捨てるのではなく・・・

 「愛」にはこのように、大きく分けて4つのものがあります。そしてその間には高低の差と、段階があると言ってよいでしょう。
 しかし私たちは、第1の「本能の愛」を捨てて第2の「心情の愛」に進み、さらにそれを捨てて第3の「良心の愛」に、また第4の「存在の愛」に進むべきだ、と説くわけではありません。
 仏教の開祖シャカなどは、第1の本能の愛を「捨てよ」と説きました。仏典を読むと、シャカはかなり口を酸っぱくして、
 「決して性交をしてはならない」
 と何度も弟子たちに説いています。性欲は、修行と成仏の邪魔である、と彼は考えていました。
 シャカは弟子たちに、いかなるかたちであれ、すべての性交渉を禁じました。未婚の者には結婚を禁じ、結婚している者には出家をさせました。そうでなければ成仏は不可能、と考えていたのです。
 また中国の僧、天台・智顗(ちぎ)は、出家者に性欲を捨てさせるために、女性を「汚らわしいもの」と見るよう教えました。
 愛欲の心が起きるのは、女性の美しいところばかり見るからで、女性を「糞尿の塊」と見れば愛欲の心は起きない、と説いたのです。
 キリスト教はどうでしょうか。
 キリスト教では、「性欲を捨てよ」とは必ずしも説きません。もし人類から性欲がなくなってしまったりしたら、人類は滅びてしまいます。
 キリスト教では、結婚の中での性は良いもの、という認識があります。性は神が造られたものであり、神からの賜物だと考えるのです。
 実際、初代教会において、クリスチャンになった人々に、「独身生活を続けよ」とか、「結婚生活を破棄せよ」とか、求められることはありませんでした。
 キリスト教が禁じているのは、ゆがんだ形の性なのです。性は神の良き賜物であるゆえに、その本来のかたちを人がゆがめるならば、それは大きな罪とされます。しかし本来のかたちが尊ばれている限り、性は決して罪ではありません。
 このようにキリスト教では、第1の愛である性愛などの「本能の愛」を「捨てよ」、とは説きません。説くとすれば、むしろ、
 「清められた本能の愛を持ちなさい」
 ということなのです。
 第2の「心情の愛」についても、同様です。キリスト教では、心情の愛を「捨てよ」、とは説きません。
 心情の愛は、私たち人間に当然備わっているもので、本来良いものです。親子の間の愛情、兄弟愛、師弟愛、恋愛、友情などは、いずれも美しいものです。
 大切なのは、これらの愛を捨てることではなく、むしろそれらを純化し、ゆがみなきものにすることでしょう。


私たちは神の愛によってより高い愛に目覚める

 さらに「心情の愛」を、単に人を愛するそれらの愛だけにとどめるのではなく、私たちはさらに一歩進むべきです。
 つまり、「魂の真の親」であるかたへの愛に目覚めてほしいのです。魂の親である神を心から愛する心情愛にまで、至ってほしいのです。
 私たちは、神を愛する心情愛に至るときに、さらに高い段階の愛に進むことができます。人は神への愛を持つようになると、その心には自然に、次の第3の愛である「良心の愛」がわき上がってきます。
 「良心の愛」――「隣人愛」や「敵への愛」は、好き嫌いの感情を超越しているために、人間的な思いだけでは実行が難しいものです。それは愛なる神からの御助けが必要なのです。
 「隣人愛」や「敵への愛」は、神からいただかなければ、なかなか持てるものではありません。しかし私たちは神を愛することによって、この愛に目覚めることができます。
 「隣人」とは、単に空間的に自分の近くにいる人々のことではありません。あなたに関わりのあるすべての人々、あなたの思いや知識の中にあるすべての人々をさします。
 私たちは神を信じ、また努力を重ねるなら、少なくとも、この「良心の愛」の境涯にまで達することが可能です。それは人間として達し得る範囲にあります。多くのクリスチャンは、この愛に達することを求め、また得てきました。
 さらには、もっと先に進む人々も出てくるかもしれません。愛を熱心に追い求めるならば、第4の「存在の愛」を感じさせるほどに高められる人も、出てくるでしょう。
 完全な意味で「存在の愛」を持っておられるのは、父なる神・救い主キリスト・聖霊の三位一体なる神のみです。
 しかし人間でも、愛の訓練を積めば、「この人がそばにいるだけで心が暖まる」 といった「存在の愛」を人々に感じさせるほどに、高められることはあるでしょう。
 つまり、私たちは「低い段階の愛を捨てて、高い段階の愛に進め」というのではありません。
 私たちは清められた本能愛を持ち、また純化された心情愛、強い良心愛、さらには豊かなる存在愛を、持つべきなのです。
 私たちは、これら4つの愛をすべて持つことを、最終的な目標にすべきでしょう。少なくとも、最初の3つ――清められた本能愛・純化された心情愛・強い良心愛は、自分の心に持てるよう努力すべきではないでしょうか。
 人がどの段階の愛まで持っているか――それがそのまま、その人の心の高さを表していると言ってもよいでしょう。
 愛は、ある意味では薔薇の花に似ています。薔薇の花が幾重かの花びらによって成っているように、愛も、幾重かの層から成っているのです。



とはいえ理屈ではわかっても、生きている世界、生きていること自体がラビリンス(迷宮)。
現実は破綻と調和、破壊と創造の繰り返しです。愛が真実かどうかを真剣に追求すれば、
相手を信じることと疑うことの繰り返しなのかもしれません。
クリシュナムルティは、キリストを疑え、ブッダを疑え、思考すら疑え、と言っています。

真実とは、たどろうとすれば、逃げてしまい、
たどるのをやめた時に、初めて真実にたどりつく。

「あるがまま」を感じるのだと、説きました。

「 執着のあるところに愛はなく、依存があるところには恐怖がある。」
Krishnamurti (クリシュナムルティ)

どちらも本能的にどんなにそれが愛を装っていたとしても居心地の悪さを感じられる能力が
わたしたちにはあります。
だから心の声に正直にありたいと思います。
「生き物が卵から生まれるときに、内側から殻を破って出てくるように、その殻も適当な時期に
内側から壊さなければならないのだ。それに失敗すると、息を詰まらせて死んでしまう」。





ご当地ゆるキャラグランプリ エントリーNo.717(海外)シャロウムちゃん
#227 Now I See

所属:駐日イスラエル大使館
ヘブライ語で「平和」を意味するシャロームですが、
シャロ~ム、
シャロオウム・・・、
シャロウムと名づけられたオウムです。

シャロウムちゃんは、イスラエルの国章で平和の象徴
オリーブを手(翼)に持ち、ダビデの星のかんむりを頭にかぶって、
世界平和のためにイスラエルの親善大使として、がんばります!


ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ .:*・゜♡゜・*:.ღ



インワはわたしにとって、夢のある組織かもです(*≧m≦*)



先日、お友達のEPOさんからIMで、『Top*s Dream Land』が、ソラマメブログ『ヤナの世界   * The world of Yana *』で紹介されていますよ!とご連絡いただきました。EPOさんご連絡ありがとうございました○┓ペコリ大変うれしく思います(*≧∀≦*)これからインワで「小さくても自分の世界を見てもらえる」ているとうことがわかったので、これを励みにインワで難しいことも少しずつチャレンジしていこうと思います(((o(*゚▽゚*)o)))ヤナさん、ご紹介していただきまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m

ソラマメブログ『ヤナの世界   * The world of Yana *』で、ご紹介して頂いた記事はコチラから↓
http://yana.slmame.com/e1474941.html






#227 Now I See
SLでのいろんな仮想体験はRL生活の中に不思議なパワーとなっていっぱい還元されていると思うので、これからもSLは続けていきたいです!微力ですが、SLの良さをできる範囲内ですが発信していきたいと思っています(。・∀・。)ゞ!ちょっとズレてることが多いかもですがwではSLの住人のみなさん、インワでHappy Life !をお過ごしくらさい!また(*ゝω・*)ノです!#153

Posted by Top(兔楓) at 18:33│Comments(0)Music & Movie♫

タグ :YouTube
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

同じカテゴリー(Music & Movie♫)の記事画像
#273水樹奈々 WILD EYES
#272水曜日のカンパネラ『桃太郎』
#271David Bowie/Space Oddity
#270タマシイレボリューション
#269水曜日のカンパネラ『ドラキュラ』
#268New Year's Day
同じカテゴリー(Music & Movie♫)の記事
 #273水樹奈々 WILD EYES (2017-06-01 01:12)
 #272水曜日のカンパネラ『桃太郎』 (2016-02-08 10:56)
 #271David Bowie/Space Oddity (2016-01-14 03:28)
 #270タマシイレボリューション (2016-01-11 13:09)
 #269水曜日のカンパネラ『ドラキュラ』 (2016-01-08 18:22)
 #268New Year's Day (2016-01-03 07:29)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。